キエフスカヤ・ルーシ(13)
〜〜アンドレイ・ボゴリュプスキーの時代〜〜

アンドレイ・ボゴリュプスキー(1111頃〜1174)
Андрей Боголюбский
北東ルーシ隆盛を現出し、ウラジーミルを発展させる。
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Российская |
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| この時代は、ルーシで不完全とはいえ、最後の統一がなったウラジーミル・モノマフの時代から、三代下った孫の時代となります。これほど時代が下ると、いま脂の乗り切った公達にとって、もはやキエフの大統一なった時代は昔のことであり、むしろ分領地こそが封ぜられた自らの親しい土地(родная
земля)という感覚が強くなり、祖父の代ほどはキエフに執着しない者もあらわれます。 この時代の空気を最も端的に吸ったのがユーリー・ドルゴルーキーの息子アンドレイ・ボゴリュプスキーです。彼の行動には、ヴラド・ツェペシュだのジル・ド・レ伯だのまでは行かないにしろ、少々病的な偏執狂的中世君主ぶりを感じ、キエフ公に興味が無かったというより、それよりも自らの町ウラジーミルに異様な執着があったというほうが正しいと思いますが、ともかく、諸公中の最強者となり、実力十分であったにもかかわらず、一度もキエフ公とならず一生を終えました。 あまつさえ、1169年、彼はモンゴル軍に先立つこと1世紀以上前に自ら軍を率いてキエフを破壊し、キエフ大公の権威を完膚なまでに失墜させました。このキエフの破壊こそ、ウラジーミルスカヤ・ルーシ(?)の力がキエフスカヤ・ルーシの力を凌駕したことを象徴する最大の事件で、キエフスカヤ・ルーシの歴史の結節点の一つだといえます。もっとも、アンドレイ・ボゴリュプスキーは自らはキエフ公にならなかったものの、キエフ公の人事そのものには介入を繰り返しますので、彼は完全にキエフ公の権威を認めていなかったわけではありません。 ウラジーミルを中心とする北東ルーシ、ガーリチを中心とする南西ルーシの発達は、中央集権を最高の政治形態とみるならば、救いがたいほどの分裂ぶりを示しており、ヤロスラフ賢公の時代までの統一は遠い昔の夢としか思えず、分領公国制ここにきわまれリ、といった感があります。 〜 1. イジャスラフの死後ーキエフ公位のゆくえ 〜 (註)以後赤枠まではロスチスラフがキエフ公 さて、イジャスラフの片腕だったスモレンスク公ロスチスラフがキエフ公となりました。が、「引き際が肝心」などいう概念を全く持っていなかったとしか思えないユーリー・ドルゴルーキーは、息子のグレープに兵を率いさせ、ポーロヴェッツ人部隊と共にペレヤスラヴリに攻め寄せてきました。ロスチスラフは、トゥーロフ、ビーンスクを統治させていた姉妹の子(つまり甥)のスヴャトスラフをつれ、ペレヤスラヴリに急行します。 ペレヤスラヴリを守っていた亡きイジャスラフの子ムスチスラフから、すでにグレープはペレヤスラヴリ付近に到着し、両軍の間で矢の打ち合いがはじまっていることを告げられ、ロスチスラフはスヴャトスラフを急派します。ムスチスラフは、スヴャトスラフの軍と合流すべくペレヤスラヴリから出発し、両軍は合流に成功し、ペレヤスラヴリに無事帰還し、グレープ率いるポーロヴェッツ人部隊を追い払うことに成功しました。それにしても、その勇猛さを以って、かつてビザンチン帝国に傭兵として召抱えられたヴァリャーグの子孫達が、今ではポーロヴェッツ人や黒頭巾などの外国人傭兵隊に頼るようになったとは、歴史も変わったものです。 |
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さて、グレープの軍を追い払ったロスチスラフは、ダヴィドの子のスヴャトスラフの治めるチェルニーゴフへの進軍を計画し、軍を進めます。ところが、ヴャチェスラフがポックリ死んだとの報が入ったので、ロスチスラフは急遽キエフに引き返、ヴャチャスラフの葬儀を行ない、母親のムスチスラヴリャに後を任せた後、チェルニーゴフ遠征軍の下へ引き返しました。群臣達は、キエフに戻って地位を固めるべきだと進言しますが、ロスチスラフは聞き入れず、そのまま軍を進めました。 ダヴィドの子のイジャスラフは、ユーリー・ドルゴルーキーの子のグレープをポーロヴェッツ人部隊と共に呼び寄せ、ロスチスラフの下にはフセヴォロドの子のスヴャトスラフ、イジャスラフの子のムスチスラフもはせ参じます。ところがいざ両軍が鉢合わせてみると、あまりのポーロヴェッツ人部隊の多さにロスチスラフは恐怖を感じ、ダヴィドの子のイジャスラフに、ロスチスラフ自らの領するキエフと、ムスチスラフの領するペレヤスラヴリを与えることで、イジャスラフと講和しようとします。 自分に一言の相談もなく自分の領地を引き渡す交渉をされたムスチスラフは、あきれて戦列から離れ、すかさずダヴィドの子のイジャスラフ率いるポーロヴェッツ人部隊の攻撃が始まりました。結局ロスチスラフの連合軍は破れ、ロスチスラフはスモレンスク公国に逃げ帰り、ムスチスラフとロスチスラフの子のスヴャトスラフはペレヤスラヴリから、さらにルーツクへと逃げ延びました。
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この章に登場するリューリク一族の系譜 (ペレヤスラヴリ公国のモノマフ家系統) ―┬ムスチスラフ―┬イジャスラフ―――ムスチスラフ | | (ペレヤスラヴリ公国) | ├フセヴォロド | | | ├スヴャトポルク | | | ├ロスチスラフ―――ロマン | |(スモレンスク公国) | | | └ウラジーミル | ├ヤロポルク | ├ヴャチェスラフ | ├ユーリー手長公(スーズダリ公国) | | | ├――┬ロスチスラフ | ? | | ├アンドレイ―――ムスチスラフ | | ・ボゴリュプスキー | | | ├グレープ | | | ├ボリス | | | ├ムスチスラフ――ウラジーミル | |(ノヴゴロド公) | ├ヴァシリコ | | | ├ミハイル | | | └フセヴォロド大巣公 | └アンドレイ | ├―――ウラジーミル | トゥゴルカンの娘 (チェルニーゴフ公国のオレーグ家系統) (ノヴゴロド・セーヴェルツキー公国) ┬ダヴィド―┬イジャスラフ(チェルニーゴフ公国) | | | └ウラジーミル―スヴャトスラフ | ├オレーグ | | | ├―――┬フセヴォロド―┬スヴャトスラフ | ? | | | ├イーゴリ └ヤロスラフ | | | └スヴャトスラフ―┬オレーグ | | | ├イーゴリ(*) | | | └フセヴォロド | | * 『イーゴリ公遠征物語』の主人公のイーゴリ公 | | | (ムーロム・リャザン公国のオレーグ家系統) | └ヤロスラフ―┬ヤロスラフ――ヴラジーミル | └ロスチスラフ (ガーリチ公国) ―ロスチスラフ―┬ヴォロダリ | └ヴァシリコ┬ウラジーミル―ヤロスラフ | └ロスチスラフ―イヴァン 青色下線:メイン人物 赤色 :女性 斜体 :物故者 |
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この章に登場するリューリク一族の系譜 (ペレヤスラヴリ公国のモノマフ家系統) ┬ムスチスラフ―┬イジャスラフ―┬ムスチスラフ―ロマン | | | | ├フセヴォロド ├ヤロスラフ | | | | ├スヴャトポルク└ヤロポルク | | | ├ロスチスラフ―――┬ロマン | |(スモレンスク公国) | | | ├リューリク | └ウラジーミル | | ├ダヴィド ├ヤロポルク | | └ムスチスラフ ├ヴャチェスラフ | ├ユーリー手長公(スーズダリ公国) | | | ├――┬ロスチスラフ | ? | | ├アンドレイ―――ムスチスラフ | | ・ボゴリュプスキー | | | ├グレープ―――ウラジーミル | | | ├ボリス | | | ├ムスチスラフ――ウラジーミル | |(ノヴゴロド公) | ├ヴァシリコ | | | ├ミハイル | | | └フセヴォロド大巣公 | └アンドレイ | ├―――ウラジーミル | トゥゴルカンの娘 (チェルニーゴフ公国のオレーグ家系統) (ノヴゴロド・セーヴェルツキー公国) ┬ダヴィド―┬イジャスラフ(チェルニーゴフ公国) | | | └ウラジーミル―スヴャトスラフ | ├オレーグ | | | ├―――┬フセヴォロド―┬スヴャトスラフ | ? | | | ├イーゴリ └ヤロスラフ | | | └スヴャトスラフ―┬オレーグ | | | ├イーゴリ(*) | | | └フセヴォロド | | * 『イーゴリ公遠征物語』の主人公のイーゴリ公 | | | (ムーロム・リャザン公国のオレーグ家系統) | └ヤロスラフ―┬ヤロスラフ――ヴラジーミル | └ロスチスラフ (ガーリチ公国) ―ロスチスラフ―┬ヴォロダリ | └ヴァシリコ┬ウラジーミル―ヤロスラフ | └ロスチスラフ―イヴァン 青色下線:メイン人物 赤色 :女性 斜体 :物故者 |
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