ソビエト時代(7)
〜〜 アメリカとの対決とウクライナ派の台頭 〜〜
ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフ Хрущёв, Никита Сергеевич 1894-1971 共産党第一書記(первый секретарь)、首相 アメリカとの全面対決に乗り出す。
Российская История
第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けた列強諸国はその惨禍から二度と立ち直ることができず、戦後しばらくは植民地主義も命脈を保っていたもの、民族主義の台頭により、アジア・アフリカの植民地に次々と独立され、自国が特権的な立場を享受できる市場・原料供給国を失い、昔日の力を失います。 こうして第三世界といわれる勢力が地球上に誕生しました。しかし、列強、特にイギリス・フランスの去った地域には、政治的真空地帯が生まれたということであり、第二次大戦後の世界の覇者となったアメリカ・ソ連が、この地域に手を伸ばし始めます。 慎重なスターリンは一国社会主義論をとなえ、資本主義国との緩衝地帯とウラン鉱が入手可能な地域以外にソ連の影響力を伸ばしはしませんでした。しかし、フルシチョフは方向を転換します。帝国主義・植民地支配に乗り遅れた国であり、したがって多くのアジア・アフリカ地域で「手を汚していなかった」ロシアは、第二次世界大戦後の民族主義の勃興と独立運動に、共産主義とタイアップした援助を与えて独立させ、自らの与国にしようとしました。西側先進諸国に対抗し、いわば第三世界の雄として、ソ連の勢力を世界に拡大しようとしたのです。 〜 4. スエズ動乱ーソ連中東政策の成功 〜 時代はさかのぼりますが、1956年十月末、第二次中東戦争がはじまります。そもそもの発端は、1956年7月20日、、英米が、エジプトのアスワン・ハイダムの建設への、世界銀行からの二億ドル融資を取り消したことから始まります。ナセルのアラブ民族主義、ソ連よりの姿勢を苦々しく思ったイギリス首相イーデン(奇しくも、あのチャーチルの片腕で、外相として第二次世界大戦を戦いぬいた、対ナチ強硬派のあのイーデンです。)の、エジプトに対する強硬姿勢でした。これに怒ったナセル大統領が、1956年7月26日、アレキサンドリアの中央広場で行なわれた、ナセル革命四周年記念の演説で、スエズ運河の国有化を宣言します。
ガマル=アブドル=ナセル 1918-1970 スエズ運河国有化でアラブの雄となる
高ステルス性をもつアメリカの高性能偵察機 MB-U2
自分の靴で国連の演壇を叩く フルシチョフ
フィデル・カストロ Fidel Castro 1927− キューバ首相